平成18年4月9日(日)〜23日(日)
AM10:00〜PM7:00 (木曜休廊)
最初に出会った田中以知庵の作品は蜆(しじみ)の絵であった。
ザルからこぼれた蜆は今しがた近くの細流から採ってきたのかと思われる程みずみずしく輝いていた。
淡々とした中に絶妙の筆さばきと色彩、その美しさと画品の高さに感動した事を昨日のことの様におぼえている。
田中以知庵(1893〜1958)は後年川崎北部の里山のほとりに住み、身辺の自然をこよなく愛して、温かく風趣に富んだ独自の画風を拓き、今なお多くの人々に愛されております。特に爽やかな空間と淡墨の妙は桃山時代の長谷川等伯に通づるものがあり、日本画の本流の一つと云えましょう。
今回の展覧会では田中家のご好意により、写真や下絵、図録なども展示致します。
どうぞ陽春の一日、清雅の境に遊ばれます様ご案内申し上げます。
画廊主 高橋嬉文 敬白

山久美

涼々 扇面

閑日

      榛名夕陽

清韻

登鮎
※絵をクリックするとそれぞれの絵の説明がご覧頂けます。

 田中以知庵略年譜
明治26年 東京本所に生まれる
明治42年 松本楓湖塾入門 速水御舟と同門親交を結ぶ
明治43年 第10回巽画会展「清水寺」紅児会展「扇面売」出品
大正元年 咄哉(とっさい)の号を建長寺釈宗活師より受けるも
  その意味が判らず以後8年間参禅し坐った
大正2年 第10回研精会展に「箱根山」同3年より審査員
大正12年 第1回春陽会に客員で「伊豆風景」以後昭和4年まで
昭和4年 南画院同人に推され「南浦遅日」以後昭和10年まで
昭和13年 第3回文展に「仙苑」以後毎年出品
昭和21年 雅号を以知庵と改める
昭和23年 第4回日展「冬の陽」同24年第5回日展より審査員
昭和32年 第13回日展に審査員「潮」美術協会展に「多摩の夕日」
昭和33年 高島屋50周年記念展に「大和月ヶ瀬」出品 絶筆となる
  3月15日逝去



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